愛知旅行
来月4月から鹿児島で
新生活を始めるのだが
生まれて19年愛知で育ったものの
名古屋市外の愛知をおおよそ把握していない。
これは
愛知県民として情けないことだ!
と思ったので
愛知県を旅行することにした。
- 一日目
とは言うものの
市外はめんどくさいので
市内を散策することにした。
初めに
東区の徳川園にいった。
とにかく落ち着いた。
時間がゆったりと流れている
素敵な場所であった。
四睡庵という小屋は特にそうであった。
園内には大きな池があって
そこには多くの鯉がいる
鯉がエサを持つ僕を求めてきて
たとえ相手が魚類だとしても
嬉しかったのである。
大変悲しいです。
次に名古屋城に行った。
そもそも名古屋城は空襲によって
石垣以外の大部分が焼失した後
再建された城であるので
城内は非常に近代的である。
エレベーターすらあるだがや。
それって歴史的建築物として
どうなんだ、と思うけれども
高齢者も楽しめる素敵設計とも言える。
またこれも良しである。
良きものは残るし
長く残っているものは良きものに違いない!
その後
きしめんや味噌おでんを食べた。
名古屋に19年住んでいて初めて食べたのである。
もちろんどちらも絶品だけれども
きしめんはたまに食べるから良い、
普段は豚骨醤油ラーメンを食べたい。
常滑といえば焼き物、招き猫であり
また、観光地であるため
散策しやすく困ることは少なかった。
観光ルートがあったが
そういう類には逆らいたい年頃であるため
無視して陶芸教室に向かった。
予約をしていないので不安であったが
平日であるためか、待ち時間無く
すんなり陶芸体験ができた。
穏やかな夫婦が何事も丁寧に教えてくれたので
素敵なものが出来た。
もし一人でろくろを回したのならば
粘土はあの地球人のように木っ端微塵になっていたに違いない。
伝説のサイヤ人になるところであった。
危ない。
値段や時間は場所によってマチマチであるものの
3,000円(送料別)で1時間ほど遊べる
陶芸体験のコスパは悪くない
むしろ作った陶器を含めれば
コスパは良いと僕は思う。
その後、
焦がし醤油味のお団子を食べつつ
センター地理Bにも出題された土管坂
次に知多バス、名鉄を駆使し
浜焼きバーベキューという
南知多の魚太郎本店に行った。
浜焼きバーベキュー場では
市場のとれたて魚介類を
その場で焼けるため美味かった。
特にイカの丸焼きは絶品である!
また、なぜか南知多の特産でもなんでもない鶏肉が非常に美味かった。
野菜も食べろとよく言われるが
食物ピラミッドのトップに立つ
高次消費者たるヒトとしての誇りを胸に
肉と魚のみで腹を満たした。
ありがとう肉と魚。
- 三日目
西尾に行った。
たまたま入ったお茶屋さんで
抹茶作り体験ができた。
正直楽しくはなかったものの
茶臼を引いた時に香る抹茶の匂いは
ちょっぴり感動ものである。
それぞれの階級の抹茶を飲み比べすることもでき
どんと抹茶を摂取した。
計5杯も抹茶を飲んだ友人は
「もう飲み物はこりごりだ」
と言ってその後一日中
水分の摂取を拒絶していたので
もし友人がもう一杯でも抹茶を飲めば
水分補給を永遠に拒否し続けただろう、
抹茶の6杯目は恐らく致死量にあたる。
バスと
自身がT.M.Revolutionになったかと思うくらい
激しく風を受けるフェリーを乗り継ぎ
佐久島に向かった。
元より佐久島については詳しかったが、
ここ数年で少々変化があったらしいので
訪れることにした。
まず、アート作品たるものが島に出現していた。
自ら入る系アート作品が多くみられた。
次に、オシャレカフェが出現していた。
うっかりPARCOに来たかと思った。
(お餅をワッフルのように焼いたもの)
ボロボロの廃屋を利用して
多くの島人で作り上げたこのカフェは
自ら栽培した野菜を使用した料理が振る舞われる。
暖かく、また小学生の頃通った駄菓子屋のようなノスタルジック空間でもあった。
店員さんも島人の権化のような
優しくゆったりとしつつも
ハツラツとした方だった。
お昼には南知多界隈でのみ食せる
大アサリの丼セットを食べた。
大アサリ丼がメインであるにもかかわらず
大アサリ丼のピントがズレているのは
僕が愛すべきお茶目さんたる所以である。
大アサリ丼セットは
今回の旅行の中で一番美味しかった。
大アサリはもちろん
刺身もぷりぷりで弾力があった。
またワカメを食べて口の中でシャキシャキと音がなるのは初めてだった。
佐久島はそれら以外にも
弁天様が祀られている島があるのが面白い。
そこでは石に願い事を書き
弁天様に祈願するのだ。
ちなみに弁財天は七福神の一員である。
素敵な大学生になりたいです。
佐久島からのフェリーに乗り帰路につく途中
太陽が西に沈み
凄味を帯びた景色になった。
西方に極楽浄土はあって然るべきだなぁと思った。
愛知にはまだまだ魅力がある土地がきっとあるのだろう、
今後何年かかったとしても
そのような場所を巡ろうではないか!
愛知県民としての
愛郷心がそうせしめるのだ。